初めまして。
アラフォー・アラフィフ女性のための心理カウンセラー
一般社団法人 日本プロセラピスト養成協会認定 心理セラピスト
徳川まりです。
ビリーフチェンジ心理カウンセリングで、女性の生きづらいを根本解決。
感情を十分にゆるめながら、思い込みを変えていく。
適切な順番と方法で、あなたにも安心でていねいな毎日が手に入ります。
ページの一番下に非公式プロフィール(100の質問)も載せていますので
よかったらそちらもあわせてごらんください♡
過去の私は、子供のころから30年以上、こんな風に生きづらさに悩んでいたことがありました。
☑ じぶんについついダメ出ししたり、じぶんを責めてしまう。
☑ じぶんには価値がない、と思ってしまう。
☑ じぶんでじぶんの自己肯定感を下げてしまっているような気がする。
☑ 頑張っているのに生きづらい。
☑ 人の目が気になって、なかなか行動できない。
☑ 言いたいことを言えずにガマンすることが多い。
☑ 何かを決めるまでにとても時間がかかる。あるいは、決めてから行動するまでにも時間がかかったり、あきらめてしまう。
☑ 人間関係が苦手。
☑ じぶんは愛されているという確信が持てない。
☑ アダルトチルドレン・毒親・インナーチャイルドなど、本やネットで調べたけれど、実際にどうしたら楽になれるのかわからない。
☑ 無料講座やお試しセッションなどを色々受けてみたけれど、じぶんはあんまり変わっていないような気がする。
☑ 自信が無い。
☑ 人から褒められてもそれを受け取れない。
☑ 人とじぶんを比べて、デキない自分に落ち込んでしまう。
☑ こどもの頃から親との関係に長年悩んでいる。
☑ 人に相談し辛い、弱みを見せ辛い。甘えられない。助けを求めるのが苦手。
☑ いつも人の聞き役、お世話役になってじぶんを犠牲にしてしまう。
☑ じぶんの好きなこと、やりたいことがわからない。
☑ じぶんの人生って何かが足りない気がする。
☑ もう、へとへと。。(>_<)
そんな生きづらさに長年悩んできた私でしたが、やがては、悩みを根本から解決する心理カウンセリングと出会い、安心感や温かい人間関係を手に入れ、今に至ります。
私のこれまでをお話しますね。
プレッシャーを感じていた幼少期
私の小さい頃の写真です。3歳くらいかな?
実家の家族構成は、
もの静かで真面目な父、気性の激しい母、そして、ひとまわり年の離れた姉と、私との4人でした。
幼いころから、両親にはこんな言葉をかけられて育ちました。
親や目上の人の言う事は絶対だから、従いなさい。
あなたが何か失敗したとしたらそれは、自分の努力が足りないせい。
もっと頑張りなさい。
4人家族全員が愛情表現が苦手でした。何かを楽しんだり、嬉しかったことを皆で話すより、「べき、ねば、ならない」が口ぐせ。
それぞれお互いに不満を感じて落ち着かない雰囲気で、父と母、母と姉、父と姉、姉と私、それぞれ口ゲンカが絶えませんでした。
一番小さかった私はそんな家族を見て、わたしが争いを収めなきゃ!お父さん、お母さん、お姉ちゃんが仲良くできるように頑張らなきゃ!と子供ながらに決意します。
ケンカの仲裁に入る事もよくありました。
すると、子供らしく安心して甘える事ができず、いつの間にか感情も閉ざされていきます。
何かイヤなことがあったらガマンする。悲しくても、恐くても、腹が立っても、グッとこらえる。そうやってガマンすると、なぜかホメられました。
嬉しいな~、とか楽しいなあ~、という感情は薄れていく。
無意識に、こんな思いこみができあがりました。
▼思いこみ▼
|
それらの思いこみは、その後の私の人生に、多くの悩みを生み出すことになります。
母親のうつ病。私が家族全員の調整役になる、と自ら決めた10代
小学校低学年の頃から、親の意向で学習塾に行き、中学高校は私立の女子高に通いました。
そこは、裕福な家庭の女の子たちが沢山在籍している学校でした。
学費を出すのが精いっぱいの我が家と比較して、強い劣等感を感じながら過ごした6年間でした。
さらに、その6年間の間にバブル崩壊を迎え、父が勤める会社の経営が傾き始めます。
家庭は経済的に苦しくなり、同じくして母がうつ病になりました。母のうつ病は、その後何十年も続くことになります。
愛情表現も、お金も、温かさや安心感も不足していた家庭。
家族全員それぞれが、「家族は自分の事をわかってくれない」「家族のせいで自分は不幸だ」という不満や怒り、憎しみや不安を持っていました。
母のうつ病や経済的な問題、家族の不和を、自分が何とかしなければ、と私は子供ながらに義務感と責任感でいっぱいだったのです。
まだ子供の私には、家族全員の問題を解決する力なんて、これっぽっちも無かったのに。
本当は、私の気持ちをわかって欲しかった。
私が興味を持っていること、好きなこと、得意なこと、学校やお友達の話を、笑顔で聴いて欲しかった。
でも、私は家族皆んなに仲良くして欲しかったし、4人がバラバラになるのが1番怖かった。
そこで私は自ら、自分の望みを諦めて、無意識に、父、母、姉それぞれのストレスの調整役になったのでした。
3人全員の愚痴を聞き、なだめ、家族を何とかつなぎとめようとしました。
▼思いこみ▼
|
そして、大学受験。
私なりに勉強を頑張ったけれど、第一志望の国立大学は残念ながら落ちてしまい、滑り止めの私立校しか合格しませんでした。
そんな私に、母親が、あなたも三流か。と言ったのを今でも覚えています。
「あなたも」というのは、彼女の思い通りに動いてくれない、あらゆる人間関係への不満から出た言葉でした。
思い通りに動いてくれない自分の夫、娘、自分の母親や兄弟姉妹、親戚、過去につらく当たってきた職場の人たち、ご近所の人。。
そしてさらには、最後に望みをかけていた私までもが、自分の思い通りにならないことに対しての、「あなたもダメなのか」という彼女の失望でした。
母には夢があったのです。
戦中生まれの母は過酷な子供時代を過ごし、若くして社会に出てからも苦労の人生でした。それはそれは大変な思いをして生きてきました。
そこで、娘が優秀な学校に行って有名な会社に入社することで、それになぞらえて、母は人生を生き直そうとしていました。それが、母にとっての「一流」。「夢」。
そして私は、残念ながら母の期待通りではなかったというわけです。
「あなたは三流」。
そういわれた当時の私はひどく傷つきながらも、私は親の言うとおりにできない、ダメな人間なんだ。。と自分を責めました。
当然ですが、親子とはいえ、人格も人生の望みも、思考も感情も、全く別のものを持っています。
けれども当時は、母親の期待にこたえられない自分、家族を幸せにできない自分を強く責めたのでした。
さて、
入学した私立大学はマンモス校で、大きな講堂の座席で隣り合う学生は毎回初対面でした。
高校までは、決められた教室で顔見知りの同級生と隣り合って座っていたのに、大学では全く勝手が違います。
そこで私は途方にくれました。
私はどうしてここにいるんだろう?
大学で何をしたいんだろう?
私の存在って、意味あるのかな?
何の意義も目的も見つけられない学校生活。
幼いころから家族の仲裁役に慣れていた私は、誰かの指示に従って頑張ったりするのは得意でした。
けれども、自分の学びたいことを見つけたり、やりたいことを探したり、仲間を増やしたり、好きなことを楽しんだり、遊んだり、お金を使ったり、そういったことに罪悪感を感じて、無意識に大きなブレーキがかかっていたのです。
そして家族は、相変わらず毎日のように言い争いをしています。
学校に行ってもつまらない。家にいてもしんどい(>_<)
そんなわけで、授業はほとんど行かずにアルバイトに精を出すようになりました。
飲食店、家庭教師、事務作業、派遣の単発のお仕事。当時、大学生のアルバイト先は豊富にあったので、単発でも長期でも、仕事には事欠きませんでした。
お金を手に入れることで、自己肯定感の物足りなさを埋めて、実家から脱出できる、そうすれば、私は幸せに近づけるような気がしていたのでした。
自己肯定感の低さが原因で、仕事も恋愛もどん底だった20代
新卒で就職したのは、「お金を稼げて自立できる職=実家から脱出できる」という基準で、一見高給が取れそうなとある会社に就職しました。
ところが、入社してみたらブラック企業。。!
サービス残業や休日出勤は当たり前、それでも仕事の成果は全く上がらず、自己肯定感はどんどん下がっていく。。
あっという間に心も身体もヘトヘトになり、1年も経たず退職を決めました。
そのことを上司に伝えると、新卒が退社することは自分の評価に関わるため、その上の上司も出てきて、何とか私の気持ちを変えさせようと、こう説得したのでした。
ここで頑張らずにすぐに辞めてしまうなんて、良くないね。あなたはこれから先も苦労するよ。
こんなことで諦めるなんて、大丈夫?社会人としてどうだろうね?
若かった私は、それが上司の単なる主観や思惑だとは判断できず、目上の人の言うことをそのまま受け取らなければならない。。と思いこみ、そして深く落ち込みました。
(でも実際は、1年足らずで退職した人は私以外にも何人もいました。)
ああ、お母さんに言われた通り、私は三流のデキない人間だから、苦労するんだな~。。
▼思いこみ▼
|
その後、とある縁で、外資系企業に入社しました。
各スタッフに与えられた仕事量とプレッシャーは、かなりのものでした。
けれども、帰国子女や留学経験者も含めて、ほとんどの人たちはそれらを難なくこなしていきます。
彼らの多くは自己肯定感が高く、プレッシャーに強く、さらに自己主張も強い。とはいえ、ギスギスしているわけでもなく、周りの人たちとそれはそれは楽しそうに、そして仲良く優雅に仕事をしていました。
私はといえば、周りの人に何とか追いつこうとして、過剰に努力していました。自分に足りないスキル、語学力、コミュニケーション力、、、私には足りないものばっかり!!(>_<)そんな風に思いこんでいました。
- 優秀でアピールが上手で、華やかで明るくてデキる人たち。遊びも仕事も上手な人たち。
- それに比べて、ぜんぜん仕事がデキない、つまらない、ダメな自分。
そんな風に思いこんで、自分を卑下して、激しく落ち込む毎日でした。
自分には価値が無い、と自分を責めてさらに追い込んでいきます。
▼思いこみ▼
|
心の余裕を無くしていくと同時に、一人暮らしの部屋はなんと、ほとんど汚部屋状態になってしまいました。
心とお部屋の状態は連動しています。
自己否定や、駆り立てられる焦りでパンパンになっていた私の心がそのまま、お部屋の状態に表れていたのでした。
自分を大切にできていなかった私は無意識に、こんな風に思っていたのです。
私はどうせダメな人間だから、キレイで快適なお部屋に住む価値は無いんだ。
私には、家具も洋服も、そのへんの安物でちょうどいい。
さらには、恋愛も散々。出会った男性はほぼほぼダメンズ。。!
私を大切にしてくれなかったり、あるいは依存してきたり。お別れして、次にお付き合いする人もこれまたダメンズ。そうやって私は立派なダメンズウォーカーとなっていきました。
私はどうせダメな人間だから、大切にされなくて当然だ。
時を同じくして、うつ病が進んだ母親からの依存が、強くなっていきました。
私は家族の調整役として、自分の感情や思いを押し殺し、母親や実家の対応に追われて、誰にも相談できずにいました。
そんな状態が続いて数年後、再び心も体もヘトヘトになり、職場を退職したのです。
ああ、お母さんに言われた通り、私は三流のデキない人間なんだなあ。。
どうしたら良いんだろう?
どう頑張ったら幸せになれるんだろう?
その答えが見つからないまま、30歳が過ぎました。
無価値感にはまっていた20代、30代。アロマセラピーに出会う
その後何度か転職を重ねた後、とある仕事に落ち着いてからは、一見、割と順調に進んでいました。
けれども、仕事でもプライベートでも、何かが上手くいかない時や、辛いことが起きると、すぐに自分自身にダメ出しする癖は抜けず、それをずっと引きずって毎日を過ごしていました。
どうしたら良いんだろう?
どう頑張ったら幸せになれるんだろう?
いつも人の目を気にしていたので、毎日が緊張感と不安でいっぱい。
そこで、不安から救ってくれる答えを手に入れたい一心で、占いや霊能者、その他心理セミナーやスピリチュアル、様々な単発カウンセリングにも行きました。ダメンズウォーカーに加えて、「占いジプシー」、「セラピージプシー」となったのです。
ところで、私は10代の頃から30歳半ばを過ぎるまで、ひどいニキビや肌荒れに悩まされていました。おまけに慢性的なひどい肩コリも。
よくある大手エステサロンはだいたい行きつくし(T〇〇、た〇〇ゆり、エル〇〇ヌ、などなど)、高級な化粧品も色々試したりしたのですが、フェイシャルもマッサージも全く効果は無し。
今思えば、それらの肌トラブルや身体のコリは、もう間違いなくストレスが原因でした。
ですから、どんなにエステやマッサージで対処療法をしても、効果が無かったのは当然です。それよりも、心の内面の問題を解決する必要があったのです。けれども、当時はそんなことには全く考えが及びませんでした。
そうやって「占い・セラピージプシー」、「エステサロンジプシー」として何年も色々なサロンをさまよった末に、ある日、アロマセラピーに出会います。
天然100%の精油の香りの素晴らしさは、それまで経験した事の無い衝撃でした。
天然の精油の香りには、市販の香水では到底体験できない植物の力が凝縮されて入っています。
私はそれまで、家族や誰か他人を優先して自分の気持ちを押し殺すこと、それから、人に認められるように努力する事、頑張ることしか知りませんでした。
アロマセラピーとの出会いによってわかったのが、それらの逆をすれば、自分をいっとき、楽にしてあげられるということでした。
「自分の感覚をとぎすませること」
「自分を優先して大切にすること」 「頑張らないで心と身体を解放すること」 |
アロマセラピーで自分の心を癒す方法を勉強し、資格も取得し、やがてはその手法を使って、クライアントさんへの心理セッションの経験を積みました。
これまで、30代から50代まで、幅広いバックグラウンドの女性への心理セッションをしてきました。
30代で結婚。自分とは違うタイプの夫(何とかなるさ主義)との関係に戸惑う
ダメンズウォーカーを晴れて卒業♡
縁あって、とても誠実な今の夫と結婚しました。
いつもネガティブ思考で、「べき、ねば、ならない」とがんじがらめだった私。
夫は私とは正反対で、とても穏やかで楽観主義です。彼は、兄弟や両親ともとても仲が良く、良い距離感を保って私を受け入れてくれます。
そんな幸せな生活がスタートしたとはいえ、私の実家とは全く異なる環境で、最初は本当に驚き、戸惑いました。
そして毎日、楽観的に振舞う夫に対してイライラしていたのです。
「え?人のために頑張ったり、ガマンしたりしないの?」
「努力しないで、面倒くさい事は人にお願いしちゃっていいの?」
「え?そんなにたくさん、休憩するの?」
「それって、自由過ぎない??」
「私ばっかり頑張らされて、ズルい!!」
▼思いこみ▼
|
結婚当初は、そんな風に葛藤の日々でした。恐らく夫も、がんじがらめの私に戸惑ったはずです。けれでも、彼は辛抱強く一緒にいてくれました(ありがとーー♡)。
その葛藤が、やがて安心感や安らぎに変わっていったきっかけは、夫に甘えられるようになったこと。
そして、後に出会う私の大きな転機、ビリーフチェンジ心理セラピーでした。
40代。ビリーフチェンジ心理セラピーに出会う
30代でアロマセラピーの知識を深めたことで、自分を癒したり、心と身体を大切にする意識を取り入れる事はできていました。
けれども、
それまで何十年も、自己肯定感の低さや生きづらさに悩んでいた私には、正直、アロマセラピーでは癒しきれない何かを感じていたのです。
心地よいアロマの香りをかいで心を解放したり、自分で自分をいっとき楽にする、という習慣はすでに身に着けていたものの、生きづらさには、変わらず苦しんでいました。
苦しい時に思い出すのは、なぜか子供の頃に経験した、沢山の辛かったこと。ガマンしたこと。
悩みの原因は子供の頃の体験から来ている、そこまではわかった。
じゃあ、そこからどう進んで行ったら良いんだろう?悩みを繰り返さないための方法は何だろう?
私が知りたいのはそこなのにー!!
生きづらさを解決しようと思ったら、心を癒すだけでは足りないのです。
アロマセラピーは、いっときは楽になるけれど、生きづらさや深い悩みを根本から解決するには至らない。
そして、私には、誰もが納得できるような構造に裏打ちされた、しっかりと思考も使った心理療法が合っている。
それをハッキリと感じました。
そんな時、信頼する友人が紹介してくれたのが、ビリーフチェンジ心理学でした。
ビリーフチェンジ心理学に出会ってからというもの、これまで数年にわたって、心の仕組み、思考・感情・行動のつながりを深く学び、実践的なカウンセリングのトレーニングを積んできました。
- 生きづらさを抱える原因は、幼少期につくられた思い込みと、その時に我慢した感情にあること。
- その思い込みを探し当てて、そこを癒していくこと。
- 癒やすだけではなく、今後の人生に必要な、もっとポジティブな思い込みを、適切な方法で取り入れていくこと。
トレーニングではそういった心理の仕組みを深く理解しながら、自分でも感覚をつかんでいきました。回数を重ねるごとに、それまで私の中でくすぶっていた悩みが根っこからとけていき、代わりに、新たなポジティブな感覚を、思考と感情の両方で取り入れる事に成功したのです。
頭で理解しながら、心を緩める。感情を癒しながら、思考も働かせる。
ビリーフチェンジ心理セラピーは、理論で計算しつくされた上で、かつ、アートのような側面もあります。
そんな心理セラピーをクライアントさんにご提供できるようになった自分を、よくやったなあと褒めてあげたいです♡
私は今では、安心感と充実感に包まれた、丁寧な毎日を生きています。自分を満たし、そして温かい人間関係にも恵まれて、人生を楽しむこと、挑戦する事、それを日々実践しています。
生きづらさに悩んでいる、アラフォー・アラフィフの女性へ。
幼いころに取り入れた「生きづらさ」の本当の原因を知って、そこを緩めていきましょう。
安心でていねいな毎日を手に入れて、あなたが本当にやりたいことで、自分を満たしていきましょう!
ビリーフチェンジ心理カウンセリングを
これまでに受けられた方たちのお声の一部を、いくつかご紹介しますね。